組織が腐っているとき
日本には給与所得者が約5000万人も存在する。企業という組織に属す人はかなり多いということ。いろんな組織がある。正当な評価が得られる組織もあれば、そうでない組織もあるはず。どちらかと言えば、正当な評価が得られない組織がほとんどではないだろうか。
組織が腐っているとき、自分がところを得ていないとき、あるいは成果が認められないときには、辞めることが正しい選択である。出世はたいした問題ではない。
経営学者であるドラッカー先生は、企業やその組織運営(マネジメント)のプロフェッショナルである。そんな人が、企業ではなく個人的心理の観点から言及しており、なかなか感慨深い。そして、勇気が出るではないか。
日本はまだまだバブル世代が仕切る社会構造になっている。終身雇用枠に入っている人たちということになるだろうか。そんな人らの視点から、「仕事」というものにどんな価値観があるのか。恐らく、生産性を度外視したものに違いない。もちろん、全部が全部ではないだろうが。
実際のところ、日本のGDPはギリシャよりも低く、日本全体の生産性の低さは否めない。乱暴な言い方になるが、成果を出した仕事に対して正当な評価が得られないような価値観で占められた企業からは抜けた方がいい。
依存すれば、搾取の対象にされやすくなる。いつかは必ず亡くなるという事実に目を向け、独立の気概を持って、本質を外さないように社会に属したものである。
- 作者: ピーター・F・ドラッカー,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2001/12/14
- メディア: 単行本
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独立の気概が無い者は、必ず・・・
わたし個人の勝手な論考なので、気軽に読んでいただきたい。記念すべき第一回目に紹介したい一節は、これだ。
独立の気概が無い者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は必ずその人間にへつらうようになる。(学問のすすめ現代語訳より)
すると次はどうなるだろうか・・・。
人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどん厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。(学問のすすめ現代語訳より)
初版が1872年に出版されたとそうだが、計算すると今から145年前の考えということになる。まるで現代人に向けた警告にも似た主張に映る。一つ言えるのは、当時も今も何も気質は変わっていないということであろうか。
特にサラリーマン社会は、そうなのであろう。土地や身分にしばれた江戸時代となんら変わらない。何が正しいかなんてどうでもよく、依存している人間が何を考え、何を主張し、何を命じるか、に人生が左右されている。
人生とは大げさな表現かもしれないが、会社勤めになれば8時間は会社に拘束され、そこでもらえる給料で生計を立てる人が大多数だ。給料が減らされるリスクを負ってまで、上司や社長に「何が正しいか」を真っ向から提案できる人は稀だろう。提案することによって、権力者の無能さが露呈するならば尚更なはずだ。
しかし、これじゃダメだ。
封建制度から民主主義に舵が切られた明治大正時代では、国民一人一人に権利が与えられるようになった。これは、皆で議論して物事を決めていくということ。こういった本質を忘れると、自分が属する組織において衰退する文化を醸成することになり、最後には自分たちの首をしめることになる。に、違いない。
実際には、権力者に論ずるのは難しい場面がある。でも、本質を忘れてはいけない。衰退すれば、自分達にそれが跳ね返ってくる。流されてはいけない。