ワシの琴線

本や誰かの「イケてる」一節とそれに対する論考を述べてます。

独立の気概が無い者は、必ず・・・

わたし個人の勝手な論考なので、気軽に読んでいただきたい。記念すべき第一回目に紹介したい一節は、これだ。

 

独立の気概が無い者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることになる。人を恐れる者は必ずその人間にへつらうようになる。(学問のすすめ現代語訳より)

 

すると次はどうなるだろうか・・・。

 

人を恐れる者は、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらう者は、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどん厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる。(学問のすすめ現代語訳より)

 

初版が1872年に出版されたとそうだが、計算すると今から145年前の考えということになる。まるで現代人に向けた警告にも似た主張に映る。一つ言えるのは、当時も今も何も気質は変わっていないということであろうか。

 

特にサラリーマン社会は、そうなのであろう。土地や身分にしばれた江戸時代となんら変わらない。何が正しいかなんてどうでもよく、依存している人間が何を考え、何を主張し、何を命じるか、に人生が左右されている。

 

人生とは大げさな表現かもしれないが、会社勤めになれば8時間は会社に拘束され、そこでもらえる給料で生計を立てる人が大多数だ。給料が減らされるリスクを負ってまで、上司や社長に「何が正しいか」を真っ向から提案できる人は稀だろう。提案することによって、権力者の無能さが露呈するならば尚更なはずだ。

 

しかし、これじゃダメだ。

 

封建制度から民主主義に舵が切られた明治大正時代では、国民一人一人に権利が与えられるようになった。これは、皆で議論して物事を決めていくということ。こういった本質を忘れると、自分が属する組織において衰退する文化を醸成することになり、最後には自分たちの首をしめることになる。に、違いない。

 

実際には、権力者に論ずるのは難しい場面がある。でも、本質を忘れてはいけない。衰退すれば、自分達にそれが跳ね返ってくる。流されてはいけない。

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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